別府大分毎日マラソン
の思い出

別府大分毎日マラソンは男子マラソンランナーの憧れの的。
ここの他に福岡国際マラソン・琵琶湖毎日マラソン・東京国際マラソンの4大マラソンが全国テレビ中継されますが、
その中で最も参加資格がゆるやかで、恐らくコースが最も平坦で、一番走りやすいのが別府大分毎日マラソンでしょう。
私も、この別府大分毎日マラソンで記録を出し、いつかは琵琶湖・福岡を走りたい、そう思っていました。
だけど〜
温泉があって、観光名所がたくさんあって、ゆっくりくつろぐのに適し過ぎたのか
私は、別府大分で良い記録も順位も何も残す事が出来ませんでした・・・

初めての別府はオーバーペース
憧れの別府へ初めて行ったのは87年2月でした。
当時所属していたD51-ACの規約によりクラブから片道分の旅費を援助していただいての参加でした。
飛行機の嫌いな私は、九州までも電車を乗り継いでの遠征、列車にのること8時間で別府温泉着。
初日は移動でオシマイ、2日目は大会前日の身体検査や開会式で過ぎて行きました。
試合当日、泊まっていた別府温泉のホテルからいつものように朝jogに出ると、
マラソンコースになる別大国道を、清掃している地元の人達を大勢見かけました。
全国、いや世界から集まるトップランナー達が少しでも良い記録を出して走れるようにとの計らいです。
こんな、地元の方達の暖かい思いやりがあるから好記録が生まれるマラソンになるのでしょう。
別府温泉からスタートの大分市陸上競技場に向かう電車に乗っても
「お兄さんこれからマラソン走るんだろ、ここに座れよ」と席をゆずってくれたり、別府の皆さんはみんな親切です。
そんなこんなで私の気持ちは舞い上がり、レースでは前半からハイペースとなってしまい最後までペースを維持できず
平凡な記録でレースを終えましたが、町全体がマラソンで盛りあがる雰囲気に魅了され、また走りたいと思いました。

2回目もオーバーペース
87年の順位が118位だったので、今回は100位以内を目標にと思いましたが、100位はどのくらいのタイムなの?
全く予測がつきませんが、とりあえずは当時の自己ベスト2時間34分03秒を上回ればおおむね100位だろうと
自己新記録を目指してスタートしたのですが、別府大分に集まるランナーは当然のごとく強い人達の集まりなので
最初の5キロを18分台で走ったら、沿道にいる大勢の観衆の中、最初から最下位を走るランナーになってしまいます。
それが我慢できない私は、当然のごとく前半オーバーペースとなり前年同様最後は失速・・・
自己ベストには1分50秒チョット足らなかったけれど前年よりはタイムが良かったので、まだまだ走れそうだと思えました。

D51-AC2名参加
別府大分を走る事を目標にしていたD51-ACの仲間が前年の防府で標準タイムを突破し
89年の別府大分毎日マラソンには、はD51-ACから2名の参加となりました。
この年の別府大分は気温9℃風微弱とマラソンに絶好のコンディションだったのに、私はまたしても自己ベスト更新ならず!
この頃は、30キロ過ぎると急にペースが落ちる事が多く、今回もそのパターンで沈没。
それでも前回より40秒ほど良いタイムで上がれたので気持ちはそんなに落ちこみはしませんでした。
D51-ACの仲間は、残念ながら関門に引っかかり、完走出来ませんでしたが、翌年単独参加し見事完走を果たしました。

3年ぶりの別府は絶不調
90年・91年は東京マラソンを走り別府大分には参加しませんでしたが、
92年は東京マラソンの出場権を失い、田園クラブの三宅さん・川端さんと別府大分を走ることになりました。
マラソン参加は3人でしたが、応援に村尾さんも駈け付け、練習仲間がそろってリラックスムード。
自分としても20回目のマラソンだったので良い記録を出したかたのですが、体調が万全でなく、
完走制限時間にあと5分10秒でやっと完走と、散々な結果のレースでした。
スタート直後からこんな緊張した表情じゃねぇ・・・
岩手の惠さん所蔵の、92年別大スタート直後の写真を、2005年8月に頂きました。

高温と強風に涙
93年の別府大分は昨年の雪辱戦でもありました、この年も田園クラブは大挙参加。昨年のメンバーに加え
オーストラリアから室井道人さんが、100回目のマラソンの記念にと、遠路はるばる別府へ来ましたが
93年の別府は大会史上2番目の高温と2番目の強風が襲いとんでもないレースになりました。
どのくらいスゴイ風かと言うと、給水所のコップが水が入っていても風で飛ばされてしまうくらいの強風で、
スペシャルドリンクを置かない私達は、ゼネラルテーブルの給水が満足に出来なかったのです。
大分から別府へ行く時は強烈な向かい風、折り返せば追い風だと信じて走っていたのですが、別府市内に入ると
風が廻りだし、折り返しても再び向かい風・・・別府湾を吹き抜ける春一番に翻弄された一日でした。
この年は体調もよく、田園の仲間達もいたので皆でペース走ができれば記録が出ると期待していたのに〜・・・
結局、結果は平凡なタイムで終わってしまいました。(順位は皆の中で一番良かったのですが)

坐骨神経痛に悩まされはじめた
94年は、坐骨神経痛の症状が出始めてきたのですが、このシーズンはまだ走れていました。
でも、走っているうちに太ももの後ろの筋肉が張った感じになり、足がうまく出せず
ストライドを維持しようとして蹴る力に無理が入り、足の裏が痛くなってしまうような事が起きはじめていました。
この年も、そんな症状が出てまともに走れていたのは25キロくらいまでで、後は痛みとの戦いでした。
この頃は30キロ過ぎても空腹感などは感じなくなってきていたので、足が万全だったら記録がでたのかなあ?
それとも、足の痛みで空腹感を感じてなかったのかしら?

あっけなく終わった別府大分
96年、この年の私は追い詰められていました、前年の別府大分を座骨神経痛の為に棄権
それでも一向に快方に向かわない、長引く坐骨神経痛で思うような走りが出来ず、焦っていました。
足が痛んでも、10キロくらいのレースでは、そこそこのタイムが出ていたので、
ハイペースで走らなければ、マラソンも完走出来るかも知れないと思い、別府大分にやってきました。
今回は、ベストタイムを狙うのではなく、2時間40分を切って、次回以降の別府大分の参加資格を持ちかえる事
それだけに集中し、スタートから5キロを17分45秒と押さえて行ったつもりだったのですが・・・
8キロ付近で、「左足が穴に落ちた!」ような感覚を感じた瞬間、道路の真ん中で転倒してしまいました
その時は何が起きたか解りませんでしたが、疲れ切っていた左足の筋肉が反乱を起こし痙攣した事が原因でした。
「別府大分」なのに大分市を出て、別府市に行く事も出来ずに、レースを放棄せざるを得ない淋しい結末でした。

別府大分毎日マラソンの成績
87年2月1日 2時間37分33秒 118位
88年2月7日 2時間35分57秒 130位
89年2月5日 2時間35分11秒 132位
92年2月2日 2時間44分50秒 順位不明
93年2月7日 2時間36分28秒 107位
94年2月6日 2時間36分38秒 146位
96年2月4日 途中棄権