川端さんのご冥福を心からお祈りいたします 14.11.11 関根 広郎

私が川端さんと出合ったのは、今から11年前、私が大学1年生の時でした。
薬科大学の対抗戦があり、川端さんはオープン参加していただきました。
当時のレースは全く記憶がありませんが、その夜のコンパで川端さんとご一緒したことを鮮明に覚えています。
毎年ゴールデンウイークに行われる大会(当時は八薬科対抗陸上競技大会と称していました)に川端さんはいつも参加していただいて、毎年5000Mには2人で1位を争っていました。
2年生の時は私が、3年の時は川端さんが、4年の時は私が勝って、成績は2勝2敗でした。
OBになっても参加していましたが、私が結婚して大会に参加しなくなってからは大会で一緒になることもあまりありませんでした。
ロードレースではたまにぎ一緒することがあり、府中多摩川で1回、東日本国際駅伝で数回、奥武蔵駅伝で1回お会いすることがありました。
また、ランニングで仲良くなった方(うち一人は浅井健一さんですが)と話をしていて、なんかの拍子に田園クラブや織田フィールドの話になると川端さんの話がでてきて、交友関係の広い方だなと改めて思いました。
最後に川端さんとご一緒したのはやはり毎年ゴールデンウイークに行われる八薬科対抗陸上競技大会でした。(現在は全日本薬科大学対抗陸上競技大会)今回は川端さんの母校の星薬科大学の主管で大会が運営されていました。
審判が不足していると川端さんからご連絡があり、微力ながらお手伝いいたしました。
川端さんと一緒に周回係をやって、その日は走りませんでした。
例のごとく、コンパがあり、川端さんとビールジョッキを傾けたことはまるで昨日のことのようです。
その時は体調がわるいそぶりもせず、相変わらず、何杯もビールを飲んでいました。昔話に花が咲き、とても楽しい夜でした。
丸い赤ら顔は学生のころから変わらず、またホームページを拝見しているとずっと走り方も変わっていないようです。
残念なのが川端さんの訃報を今日11月11日に知ったとこです。
きっと天国でも苦しそうな顔をして必死にねばり強く走っていることと思います。
私自信走ることへのこだわりを忘れてしまっていたようです。
川端さんのご冥福を祈るとともに、走ることへのこだわりを持とうと決意いたしました。


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