川端君追悼      三宅徹 2002年 8月3日記

 川端仁一君が逝ってしまった。享年43才、僕よりも3つ若い。独身でアパート暮らしという同じ境遇の身にあっては、明日は我が身かと身につまされることこの上ない。しかし、ランニングをベースに健康管理をシッカリやっていけば人間200才くらいまで生きられるのでは(遺伝情報的には150才くらいで事切れるように回路が組まれているそうですが・・)という見果てぬ願望ともいえる仮説に挑戦している僕の立場からすれば、コノ〜ッ、オオバカヤロウ!と叫びたくもある。だが、現実は不覚にも涙の堰きが切れてしまって止めどない。

 川端君と初めて会ったのは、今を去ること20年前、82年の9月15日、今は200mトラックに縮小されてランナーから見向きもされなくなった千駄ヶ谷の国立競技場サブトラックであった。日大文理学部の川崎君に紹介され、3人で15000mのビルドアップを走った。伸び盛りでものすごく元気が良く、その時は3周くらい抜かれてしまった。練習後、その後の僕と彼を知る人にとっては、"当然"のごとく二人で飲みに行った。当時、僕、大学院修士2年、彼は星薬科大学4年だったがその風貌はまるで高校生のようで、高校生に酒飲ましていいのかな?と真剣におもったりした。
82年奥多摩での川端君

彼も僕のことを一瞬年下と思ったらしく、それにしては「ずいぶん態度のでかいヤツと思った」と話していた。当時、田園クラブの練習参加人員といえば少ないというより僕一人だったので、彼には最初練習相手の豊富な楓ACへの入会を勧めた。しかし、彼は既にできあがっているクラブより発展途上のクラブに行きたいということで田園クラブに入会してくれた。それからしばらくは二人で楓の練習に、毎週のように道場荒しよろしく乱入、3000mであれば9分そこそこで常にトップを争ったが、それも完全に全力を出しているわけではなく、"頑張れば8分台も出せるけど練習でそこまでヤルことないか"みたいなかんじで余裕を持ち、二人にとって生涯で最も練習レベルの高い時期だった。この年10月2日の5部対抗(田園ク、東工大、NEC、東芝、松下通信)で彼は、結局生涯ベストとなった15分24秒を出した。この頃彼は「自分は陸上を始めて最初は5000mを20分も切れなかったのにここまで来た。こうなったら13分台を目指したい。」と飲みに行くたびに話していたものだ。
 川端君生涯ベストをだした8日後、今度は僕が念願の1500m3分台突入を果たした。その後僕は自己新記録ラッシュだったが、その全てが川端君のおかげといっても良い。 もう少し彼との思いで話を続ける。

 僕が社会人となってからも一緒に練習することが多く、一緒にレースに出ることも多かった。92年に始めて僕が別大毎日マラソンに参加したときも一緒だった(このときは小野里さんも参加、村尾君が応援に来てくれて、楓ACからも峰岸さんと粕谷さんが参加し、とてもニギヤカでした)。レース前夜、彼が緊張感からゼッケンの縫いつけなど細かいことに神経を使っていたことは以前"フルマラソンを知的レジャーとするために"に書いた。

 それより前、89年に東京国際マラソンに出たときは、僕だけの出場で彼は試走につき合ってくれた。千駄ヶ谷を出てコースを走り、復路は四谷までの35kmの予定が霞ヶ関あたりで道を間違えたために全走破距離が40kmを越えてしまった。これには彼が完全にまいってしまい、飲みにいっても体がビールを全く受け付けなかった。彼でもビールが飲めなくなることがあるのかと思ったものだ。レース当日はコースのアチコチで応援してくれて、僕がゴールするなりスタンドの彼に向かって「オーイ、飲みに行こうぜ!」というとヨヨッとズッコケていたっけ。

 走る以外に映画が大好きで、何本もビデオに録画してもらった。その中で「ジェシー・オーエンス物語」はメキシコオリンピックのトミー・スミスらがやってのけた"黒い手袋国旗に背を向け表彰式"を批判しながら「怒りや憎しみが社会を変えていくものではない」ということを明快に伝え、僕の映画ベスト5に入っている。
 川端君との想い出は尽きないが、近年、彼が僕と一緒には走れなくなるに連れ、彼と衝突することが多くなった。彼には申し訳なかったが僕としては「オマエはもっと走れるはずだ、頑張れ!」のつもりであった。ここ1年あまりは全く口を聞いてもらえず、僕の顔をみると逃げ帰ることさえあった。
 直接的原因は僕には分からない。つまらない誤解の積み重ねだったと思う。僕が滋賀や福島と東京から遠く離れたところにいて直接顔を合わせる機会が少なくなったことも影響しているかもしれない。とにかく時間をかけてジックリと関係を修復していこうと考えていたが、もうそれは下嶋先生との山岳レース対決と同様、僕が天国に追いかけていく以外叶わぬ事となってしまった。川端君よ、待っていてくれ、天国でまた楽しいビールを飲もう!  154年後に・・・・・・

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