川端さんの最近について 作成:田園クラブ 村尾和彦 平成14年8月5日

今年1月〜3月は、例年風邪のはやる季節で薬局の仕事が忙しかったのですが、今年は例年にも増して忙しかったようで月に3〜4日しか休めなかったそうです。今回の土日曜日の席では、薬局関係の方もいたので話はできせんでしたが、若い女性社員が入ってもすぐ辞めてしまったり、ベテラン社員の方とのいざこざの仲裁役もやらなければならないし、有給を採った社員の穴埋めで各店舗へ助勤にも出なければならないということで、ほとんど練習もできないと言っていました。せめて土曜日だけでも練習または養老はどうですか?ということで織田Fから2〜3度電話で誘いましたが、昔なら飲み会だけでも駆けつけてくれた川端さんが、毎回「ご免、疲れているからまたの機会に、勘弁してくれ。」でした。それでも京都シティーハーフ(3/10)、多摩湖駅伝(3/21)には一緒に参加してくれました。京都では、新幹線の個室に一度は乗ってみたいということで、堀さんと京都駅で飲んだ後、西尾浩ちゃんと一緒に個室の中で飲んだくれて帰ってきました。多摩湖駅伝の際には、自分が東京へ戻って来られるようになったことを大変喜んでくれて、またまた飲んだくれてしまいました。住むところの件でも、また川端さんのアパートに空き室がないか相談したのですが、その時は空いてなかったので、自分で探すことになりました。この時も小野里さんのお父さんが急に亡くなられたことで、駅伝メンバーの確保に苦労しておられたのですが、コニカランベルの廣田さんに走っていただきました。また、2/11東京国際マラソンの時には、今年はないと思っていたんだけど、やはり今年もコニカランベルの増田君から奥さんと子供の面倒を見てくれるように頼まれて、都内を電車で回って応援したこと、同じく応援に来ていた三宅さんと出くわしたけど走って逃げたことなどを話しました。

4月に自分が東京に戻ってきて、アパートがなかなか決まらず実家から通いながらだったので、土曜日の練習には1回だけしか行けませんでした。(4/13)その時にも、松田さんと西尾浩ちゃんと織田Fから飲みの誘いの電話をしましたが、やはりお疲れでのようで丁重にお断りされました。4月の終わりから5月中頃までは、水曜日の織田Fの練習後、飲み友達がいなくて、(小野里さんが業務爆発で来れなかった時期)、毎回飲まずに帰っていることを話すと、薬局の業務が少しは山を超えたこと、会社の方から1月〜3月の業務(勤務成績?)に対して褒章が出たこと、そして、誰もいない場合には付き合うから電話してくれというようなことを話しました。5/17には、今年の富士登山駅伝の要項が届いたことを小野里さんに伝えておいてくれということ、鹿沼さつきマラソンの10q(5/12)に出たら「また、足がプチッといってしまって、またしばらくの間走れそうにないことの電話もありました。

6月は第一週の土日曜日は、自分が北海道に行っていたため、6/15に土曜日織田Fで練習した後、この日も一人だったため、川端さんに電話をしたら渋谷まで出できてくれて一緒に飲みました。ただし、中生1杯、サワー2杯ぐらいであまり飲めず体調もあまりよくなさそうでした。(本人は風邪気味なんだと言っていました)その後も気を遣ってもらって、6/22と6/29両土曜日とも「今日の練習はどうする?」と、川端さんの方から電話をかけてきてくれました。6/22は別の用事で行けないため、6/29は織田Fが使えないため、一緒に練習または飲むことはありませんでした。

7月になり、やはり第一週は、自分が恒例の札幌国際ハーフマラソンに行き、その他の土曜日は富士登山駅伝の練習ということで、札幌に行く前には、富士登山駅伝の帰りのあさぎり6号の切符を川端さんの分も確保してあるから、必ず来てくださいというようなことを話しました。また、札幌から帰ってきた後7/9か7/10に電話して、札幌のビール園、ススキノ(秘)、帰りの北斗星のワインのことを報告したら「相変わらず好きだなあ。」と呆れていました。7/13の土曜日は、今年1回目の富士山練習で、夕方織田Fで練習していた、松田さんと合流して川端さんを養老に誘いましたが、その日は2人いたためか?、お断りされました。その次の7/20は、富士山から帰ってきたら松田さんと川端さんと合流して飲む予定にしていたのですが、富士山で練習後に一緒に練習した三宅さんが「俺も養老に行くよ」ということになったので、こっそりと川端さんにそのことを連絡したら「じゃあ、俺は遠慮しておく。」ということで、結局松田さんも体調不良ということで、三宅さんと2人で代々木八幡で飲みました。(御殿場でも少しで飲んでいました。なお、養老の瀧は祝日の土曜日は休みでした。)7/24、富士登山駅伝も10日あまりにせまったこともあり、川端さんが水曜日の練習に来てくれました。インターバル400m×3本(4本?)78″〜80″、途中で小野里さんが1本付き合い、川端さんが引っ張っていました。
練習後は、養老の瀧へ。最近の養老のメンバーは川端さんが来ていた頃とはがらっと変わって、小野里さんのホームページつながりのメンバーが主力になっていて、川端さんは話についていけないようでした。(このあと本人もそう言ってました。)それでも、グランドで川端さんの久しぶりの姿に昔からのアトミのメンバーに声をかけられ、また、熊ちゃんと妙ちゃんも養老に来て久しぶりの再会を喜んでいました。養老の後、「自分のアパートが近いから是非寄って行って下さい。」ということで、部屋に来てもらい飲み直すことにしました。ただ、養老でもビールはジョッキ1杯、大サワー1杯。部屋で飲み直そうとしたビールは、朝片付けるときには、ほとんど残っていました。部屋では、「小野里さんが何故今回駅伝の申し込み責任者になったのか、その理由が分かったよ。」(小野里さんの知り合いの女性チームが出場することや、ネット仲間関係で話題となっていること?を聞いて川端さんがそう思ったと思われる。)「乗りが違うよなあ。」と言って笑っていました。その後タクシーに乗って帰られました。翌25日(正確には、26日)には、仕事で遅くなって0:00過ぎに帰ってみると、22:18に携帯電話に着信(最近自分が、携帯電話を持ち歩いていない。)があったので、折り返し電話をしました。「27日土曜日の富士山の練習はどうする?」川端さんは、「俺は下(道路区間のこと)をやるつもりだけど。」と言われたのですが、田園クラブの伝言板に三宅さんから「再び富士山で練習しましょう。」との伝言があったので、そのことを伝えると「じゃ俺はこっち(東京のこと?)で練習するよ。」と言ったので、「じゃ、夜は養老で2人でやりましょう。」と言ったら、「大学のOB会があるから、悪い、ご免。」と言っていました。(結局、三宅さんとの関係を修復するチャンスでもあったのに、何の役にも立たないどころか、何度も自分が、ぶち壊していました。)27日は、富士山から戻り、食事&飲みから帰ってきたところ、22:01に川端さんより、「村尾から着信があったから電話したよ。」と言われましたが、電話した覚えはなく(携帯の発信記録もない。一昨日のを見てのことか?)おかしいなとは思いましたが、今、富士山から帰ってきたこと、やはり三宅さんは来なかったことを話したら、「やっぱりね。」などど言っていました。あと、自分も健康診断の高血圧で引っかかって、診断書が出ないことで、川端さんと同じになったことを話すと、数値を聞かれて、「上130、下100」と答えると「それならまだ、まだ大丈夫だよ。俺なんて・・・」と言われました。(川端さんの富士登山駅伝の診断書の件については、4〜5年前に高血圧が原因で御殿場の医者でもめた以降、診断書が取れずに補欠・サポートに回っていました。それでも何度か走っています。その前にも駅伝のための医者から注意されて、降圧剤を飲んで診断を受けたことがあると言っていました。)最後のほうで、「また、機会があったら飲みましょう。」とまた、おかしなことを言うなあと思いながら、「もうすぐ駅伝じゃないですか、あさぎり号とかで、たっぷり飲みましょう。」と言ったのが最後になりました。

以上が、川端さんの最近の様子でした。忘れないうちに思い出しながら書き残しておこうと思いました。


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